軋み

軋んでいる

キャベらざる者たち

人生初めての二日酔いを経験した。翌日が平日なのにもかからわず白ラベルのバランタインソーダで割って3杯くらい飲んだせいだ。ウイスキーを飲むとすぐに眠れるから、とほぼ言い訳のように呷ったのがまずかった。20余年の人生の中で自分も周りの人間も二日酔いに瀕しているのを見たことが無かったので、創作物の中に出てくる概念だと思い込んでいた。

最悪な気分で朝を迎えた。日付が変わる前に床について睡眠時間をとったはずなのに頭が割れるように痛い。腹もぐるぐると鳴り続けているのに、トイレに行ってもガスしか出てこない。吐き気、めまいもセットで付いてくる。実家の家族に「もしかしてこれが二日酔いなのか」とLINEで尋ねてみると「そうだ」と返ってきた。そうか、俺が二日酔いか……と正しく現状を認識できたのは、他人に認められたこの瞬間だったと記憶している。俺が二日酔いに瀕していようが、平日である限り仕事はある。ほうじ茶を2杯くらい飲んでリモート朝礼に出席した。今がリモートワークで本当に良かった、と言っていいのか、リモートであるがゆえに酒を飲んで安眠を得ようとした俺の浅はかさよ。

家族からは「液キャベを飲んだほうがいい」と勧められた。そんなもの常備していない。xxxHolicの侑子さんが二日酔いになっている時に液キャベを飲んでいたが、あれはそんなに効くのか。胃の調子を崩していた時期があり、錠剤の方のキャベジンを常用していたがアレの匂いは自分にはキツく、飲むたびに嘔吐いていた。また、昔の液キャベのCMで見たドロッとした質感をよく覚えていたため、液キャベという代物に手を出す気には到底なれなかった。検索窓に打ち込んで結果を確認すると、グレープフルーツ味でスッキリして飲みやすいものもあるらしい。いやあでもあの錠剤を凝縮して絞った汁が液キャベだとすればたとえ柑橘系のフレーバーをつけたところで……、と思い巡らしつつ検証作業をしているうちに昼になった。いつも通りの昼飯(餅、うどんなど炭水化物とプロテイン1杯)はスキップして、薬局まで行って液キャベを買いに行くべきかとも悩んだが、ベッドで横になることを選んだ。錠キャベのエグみを知っているからこそ液キャベには手を出せなかった。これは戦略的撤退なのだ……と思い込んで昼寝を決めたが、午後からは特に何も無く就業できた。体調が悪いときは寝るに限る。まあ今回は寝るために酒を飲んでいた訳だが……

いっそセラミック

相変わらず歯科を受診している。今は、銀歯にしていた箇所の奥の方で虫歯が進行していたため、そこの処置をしている。虫歯の部分を削って新たに歯の表面になる物を被せるのだが、被せ物の種類を銀歯とセラミックの2種類から選ぶことができた。俺が20余年通い続けていた故郷の歯医者では銀歯以外の選択肢が存在しなかった。両者の差を聞いてみると銀歯の方が虫歯が広がるリスクがある等、他の点は細かく覚えてないが、とにかくセラミック一択!という感想を抱いたことは記憶にある。金額が確かにネックだが(1カ所およそ税抜4万円)、それさえ無ければ全ての個所をセラミックにしたくなるような差だった。年明けの受診ですでに歯型はとったので、今回はいよいよ歯にセラミックを詰める。

歯の仮蓋を外すため、まずは麻酔から。タオルで目を隠されているので何が行われているのかわからないが、この歯科ではキリキリキリ……と万力を絞めるような音のする器具を使う。徐々に歯茎の感覚が鈍くなってくる。あとものすごく苦い液体が口の奥のにたまっていく。どうやら麻酔薬とは苦いものであるようだ。依然通っていた歯科では刺すような痛み、というか文字通り歯茎に針を一本刺して麻酔を行っていたが今の場所ではそういう方法はとっていないらしく、麻酔の際に痛みが特に無い。名古屋のベッドタウンと大阪の駅近の病院ではかなり技術に違いがありそうだ。

麻酔の後は歯をドリルで削っていく。この時はいつもマリオパーティの「はっくつ!ハッスル!」をやっているイメージが脳内で流れて止まらない。キャラクターの型抜きの疑似体験を、俺の歯を使って先生が一生懸命やっている。そういうイメージ。やっぱり本家マリパの方でも100点を連発できるんだろうか。バックグラウンドではつじあやのの「風になる」のオルゴールアレンジが流れている。去年の暮れに行った整形外科では、赤いスイートピーが流れていたが、院内のBGMって先生方の趣味がそのまま反映されるのだろうか。

必要な個所は削り終えたのか、しばらく口を開いたままにして口内を乾かせてから歯に接着剤のようなものを塗る。これが以前の歯科ではものすごく痛かった、それこそ脳にまで響くようだった覚えがあるのだが、ここでは特に痛みはなかった。銀歯とセラミックでは違うのか、それとも地元と都会の差なのか。何度か調整のために付けたり外したりセラミックの方を削ったりして、最後に付けて「接合部が合っていないのでもう一度型を取ります」というニュアンスのことを告げられた。歯を処置しまくってきた人生でも初体験だった。マジかー。セラミックならよくあることなのか?ととりあえずすべての選択肢で「はい」を選んだ。接着しているセラミックを剥がすために、またマリオパーティが始まった。結局料金は取られなかったが、麻酔を打った箇所が赤黒く腫れている。どういう器具を使っているんだろうか……

穴があったら入れておきたい話

USBを使い倒している。夏くらいにアイマスクを購入していた。USB給電式でホットアイマスクにもなれるという代物だ。買った当時は暑さゆえにアイマスクのホット機能を使うことは無かったのだが、冷え込んできてからはこの機能にお世話になっている。USBに接続して、電源を入れたら温度と時間を設定する。あとは勝手に温まっていく。実にシンプルで使いやすい。1~5の5段階での温度設定が可能だが、1と5のうちのどちらが熱くてどちらが冷たいのか分かっていないので、常に3の設定で使っている。ちなみに3のまま使うと微妙に熱くて目の周りがじんわりと汗ばんでくる。以前買ったブランケットもUSB給電式だ。仕事中は大体これの温度を「中」に設定して、肩から羽織るなり足にかけるなりしている。電源を入れてすぐに温かくなるし、手触りも良い。部屋の主な熱源が、USBとなっている傾向がある。

電源タップのコンセントの数が足りなくなったので、秋ごろに5つコンセントを搭載したものに変えた。USBの穴が2個付いたものを適当に選んだのだが、これが大正解だった。USB給電のものを導入しやすくなった。今ではコンセント×5とUSB×2の同一の製品を2つ、大元のコンセントに接続している。USBの使用率は4分の3。アイマスク、ブランケット、そしてパソコンの音を出力するスピーカー。ちなみにそれまで使っていたタップは実家から適当に持ってきたものだった。コンセントが3つのものと4つのもの。これで十分だろう、と思っていたが足りなくなるとは思っていなかった。使わなくなったタップはまた使う機会があるかもしれないので、クローゼットの奥のほうに片付けた。なぜ実家にタップが大量に余っているのか、その答えに出くわしたような気がする。

俺が物心をついたころ(大体中学から高校生あたり)ではUSBとはほぼほぼ「USBメモリ」のことを指す言葉だった記憶がある。「USB無い?」と言えば小型のメモリを手元に渡された、そういう時代があった。当時の俺はUSBという名詞が記憶媒体のことではなく、パソコンとかに開いている穴の方であるという常識を持っていなかった。今ではUSBはデータだけでなく、熱も伝達する穴である、という認識にアップデートすることができている。これは紛れもなく大きな進歩である。

また年末の話をする - 歯の検査を受けてきた

もう1月も下旬が見えてきているが、また年末の話をしよう。帰省の新幹線の数時間前、予約した歯医者で歯の検査を受けてきた(前回)。検査の内容は唾液、顎の力、色んな角度からのレントゲン、顔の写真、歯の型、顎の形の測定。ずいぶんとこねくり回されてしまった。

歯の型は冷たくて柔らかいゴムみたいなものを当てて取るのだが、この時目をタオルで隠されるので、ひどく不安を覚えた(以前まで通っていた俺の人生唯一の歯医者では目隠しなんてしなかった)。先生の手が口元から離れるとより不安が増す。もともとの体質なのか、口をずっと開いているだけで嘔吐きが止まらない。「もうちょっとで終わりますからね~」と声をかけられて、そのあと大体2分くらいゴムを口内で保持し続けていた。その間、ずっと嘔吐き続けていた。

顔の写真も外科的な用途のために普通に撮ったかと思えば歯茎を思いっきり露出したり、口をポカンと開けたりと歯科的な内容のものも多かった。プラスチックの開口具で口を思いっきり横に開いた写真も撮った。ひんやりしていてかつ柔らかくて、触れていると心地良さすら覚えるほどだが、確かな力で顔の状態を一定に保つあの開口具の素材が気になる。もし文明が滅んでこの写真だけが残ったとしたら、開口具で口内を見せつけるのが旧文明のファッションだったという認識になるのだろうか。そんなことを考えながらシャッターの音を聞いていた。

色んな角度から撮るレントゲンが一番つらかった。口の中にフィルムを、色んな位置にセットした上で器具を当てて撮影するのだが、この時もやはり何度も嘔吐く羽目になった。フィルムを入れる位置によっては舌を思いっきり上げたり下げたり、左右に寄せる必要がある。下の移動に合わせて嘔吐きゲージがぐんぐん上昇していく。また先生に「もうすぐ終わりますからね」となだめられた。俺ももういい年なのに、この言葉があるだけで安心する。お医者さんってすごい。

かくして辛かった検査が終わった。あとは実家に帰って、正月休みを満喫するだけ、というところになった。休み明けには結果が出るということだったが、まさか歯茎の膿が歯根ではなく、歯の真下にあるせいで永久歯を1本抜かなければならない、と告げられて卒倒寸前まで落ち込むことになるとはこの時は予想もしていなかった。

帰省した時の話・セグウェイ

セグウェイに乗りたい、という願望がかねてからあった。無職期間のうちに済ませてしまいたかったが、コロナ下であることや家族から真面目に転職活動をするように怒られたことなどで、それは叶わなかった。大阪にいる今でも「セグウェイ 試乗」みたいなワードで検索をかけてみたが、かなり遠出せねばならないようで、方向音痴に加えて乗り換えもまともにできないなど俺の能力面の観点から断念した。そこで、1年ぶりの帰省の期間を使って、比較的慣れ親しんだ交通機関で行ける場所に体験乗車をすることにした。会場はセントレア。7000円の2時間体験コースを予約した。空港内をぐるっと転がすルートをとる。セントレアがそんなことまでやっているなんで知らなかった。

セントレアに来るのは人生2回目だったが、比較的慣れているはずの道中乗り換えで迷い、広いセントレア構内でまた迷いで遅刻してしまった。当日、年末なので多少は混んでいるかとも思われたが、やはりコロナの影響で人もまばらだった。集合場所に着くと、この時間の体験希望者は俺一人、そのおかげで遅刻も特に何も言われない。茶色に染めた髪を後ろでまとめたナイスミドルが講師。引き締まった体をしていて、素直にいい年の取り方だなー、と思った。安全のためのヘルメットと、インカムを渡されて早速乗車。セグウェイの動作は単純で、ハンドルを切ったほうに曲がる、つま先と踵で体重をかけたほうに進む、直立の場合は停止。これだけだ。これだけなのだが、まず止まっているという動作だけでもかなり難しい。たいていの人間は普段、つま先と踵の両方に体重をかけずに直立しているということはほとんどないだろう。それがセグウェイの上では重要になる。無駄に腹筋に力を入れたりするが、よろよろとクリーピングしてしまう。ニュートラルにしているつもりでも、徐々に右に曲がりながら後退していく。自分の体の歪みがよく分かる。セーフティ機能を外せば最大で時速20キロまで出るらしい。このままそのスピードで走ったら死の危険性すらあっただろう。

直線に並べたコーンで作ったスラロームやクランクを10往復くらいしてようやく感覚を少し掴めた。セグウェイ乗車とはスポーツなのだと。ヘソをハンドルに近づけて加速、ひざを曲げながら尻を落とすようにして減速。全身を使わなければいけない。スムーズにS字を曲がれるようになったところで、コースに出る許可が下りた。

セグウェイを転がしながら、インカムから流れる空港内の案内を聞く。セントレアに来るのが2回目と言っても、1回目は10年以上前の話なのでほとんど初耳のようなものだ。講師の人はセグウェイを楽々と乗りこなしながら、本当に色んなうんちく話をしてくれた。飛行機搭乗待ちのラウンジは、実は代金さえ払えばだれでも使える(中では酒も飲める)こと。東京では行列ができるほどの大人気店が入ったが、セントレアではいまいち伸びが悪いこと。セントレア周りは工業地帯なので観光する場所がなく、魅力のない都市で世界ランキング入りを達成したこと、飛行機の燃料が灯油であること、デッキから見える低い建物で機内食を作っているが、高所でも味が分かるように濃い味付けがされていることなど。覚えているのはこれくらいだが、ながら運転で本当によくここまでスラスラと喋れるものだなと。俺はといえば丹田に力をこめたり込めなかったりで忙しい。途中で写真を撮ってもらったが、ヘルメットとマスクで顔がほとんど隠した陰気な男がピースサインを決めている事実のみが記録されている。

最後は屋外でセーフティ機能を外して、高速での運転を行う。S字に進んだり、縁石に片側が乗り上げた状態のまま運転をする。生身のまま20キロ近い速度をだすのも講習開始直後は不安しかなかったが、多少離れてくるとやはり楽しい。マリオカートで体が揺れているアレが、そのまま動作となってついてくる快感がある。後者の課題はバランスがとり辛く、すぐ降りようと曲がってしまったが、2回目のトライで何とか達成できた。すべての課題を達成できたので、自分の名前入りのセグウェイ受講証明書をいただいた。ただの記念品だと思っていたが、これがあると1年間はほかの観光地のセグウェイツアーの講習料金がタダになるというものだ。先ほど書いた通りセグウェイとはスポーツなので、翌日は体幹の筋肉痛に悩まされたがそれを上回る経験を得られた。乗車可能な場所には限りがあり、ツアー参加費も馬鹿にできないので趣味にするにはやや厳しいかもしれない。Amazonでちょっと調べてみたら70,000円くらいはするものらしい。微妙にあきらめがつかない金額。

帰省した時の話・バス

帰省した時のことを書こう。高速バスをおさえていたのに、当日の雪で運行停止になって出鼻をくじかれてしまったが、代わりの新幹線から見る京都~岐阜までの雪景色はなかなかに見ごたえがあった。彦根のあたりでソーラーパネルがまるまる雪で覆われてしまっているのを見たが、冬の間の電力はどうやって賄っているのだろうか。

名古屋に戻ってくるのは1年とちょっとぶり。「この街も変わらねえな…」と気取ってしまうのもアホらしいくらい、本当に何も変わっていなかった。都心部は名古屋も大阪梅田も割と似ているなと思う。帰りのバスの情報が見られないかなと名古屋駅の高速バスターミナルに向かったが、特に収穫は無かった。昼飯がまだだったので、駅の近くで働いていたころによく通っていたうどん屋に行こうとしたところ、不意にお爺さんから「高速バスってどこから乗れますか」と聞かれた。ターミナルを離れてすぐのことだったのでそこです、と指でさした。ただ、名古屋より西は全部運休ですよと言うと聞いていたのかいないのか分からない曖昧な返事をして、ターミナルの方へ向かっていった。多分聞いていない。マスクもしてないし。この街も変わらねえな…

駅から市バスで実家に向かう。地下鉄もあるが、名古屋駅から地下鉄に乗る気にはならない。どの時間帯でも人があまりにも多すぎる。交通状況に左右されるが、大体家まで1時間弱ほど乗っていれば着く。窓から外を見ていると、ドライブスルーのマックができているが、それ以外ではほとんど変わりがない。車内の乗客も人もまばらになってきた時、通路を挟んで隣だったおじさんから「ここに行くにはどこに降りればいいの?」と、また聞かれた。名古屋の公共交通機関なら、確かにそこそこの知見がある自信がある。大阪のことはいまだによく分からんが(淡路という名前の駅が複数集中して建っているので混乱した覚えがある)。その自信が顔に出てしまっていたのか?おじさんが指したショッピングモールに行くには、現在乗っているバスではなく、路線を共有しているもう一方のバスに乗る必要がある。その旨を伝えると、あぁ…と気の抜けた返事が返ってきた。俺は駅からずっとトイレを我慢していたので、家からそこそこ近くコンビニのすぐそばにある停留所で降りた。そのおじさんがどこで降りたのかは分からない。

年を始めよう

実家に帰省していた。おおよそ1年半ぶりの名古屋だったが、会うべき知人とかも特にいないので、家の飯をタダで食ったりセグウェイに乗ったり早朝に初詣したりして過ごしていた。でかい風呂に浸かれたり、普段大阪の1Kの部屋で食う飯よりもはるかにグレードの上なものを食えたりしたのだが、現在の住居との違いは一番の違いは家屋の断熱性だった。半袖で過ごしても凍えるような思いは実家ではしなかった。12月上旬までは、全裸で家事をする(終わった直後にシャワーを浴びるため)のが通例だったが、年の瀬にもなると半袖で居ることすら不可能になった。家の壁ってのは家のパーツの中で一番重要かもしれん。2口のIHクッキングヒーターを探し求めていたあの日の俺はバカだった。

あと、実家には猫がいる。もう13歳くらいの老描なので、前と比べるとずいぶん大人しくなってしまった。俺が実家で暮らしていたころには家じゅうを舐めるようにパトロールし、風呂の水を実際に舐めていた。それが年末年始はベッドで丸くなり続けていた。どんな形であれ、長く生きて欲しいと思う。

実家にPCはあるがモニタは無いので、日記を書かずに放置し続けてしまった。実家では本当にすることが無いので5日ほど滞在していたが2日くらいは丸々寝続けていた。ある意味では休日の正しい過ごし方。キンッキンに冷やされた我が家に戻ってきて、生活のやり方という物をすっかり忘れてしまったような気がする。とりあえずリハビリ的にキーボードを叩いて文章をひり出しているが、この書き方ってのもすっぽり抜け落ちてしまっていると感じられる。そもそも何で去年に日記なんて書き始めたんだっけ、と思い出すと「生活の質を高める方法」だったか「鬱から抜け出す方法」に日々の日記をつけること、という項目があったからに過ぎない。多分こういう日記をつけ続けていても鬱も解消されないし、生活の質も高まらない気がするが、それとなく続けようとは思う。2022年はドローンを飛ばしたり、AWSの資格を取ったりしたい。だいぶふわっとした目標ではあるが、こんな感じでゆる~くいきたい。年を取るにつれて1年の境目が曖昧になっていくのを感じる。もう6日だしな…