軋み

軋んでいる

終ろうとしているかもしれない話

およそ1年ぶりに歩いて行きつけのスーパーまで行ってきた。スーパーに「行きつけ」って言うんだろうか。まあいい。自転車を去年の春に買ってから、スーパーはおろか、もっと近所のコンビニやドラッグストアまで自転車で行くようになってしまった。俺が住んでいる区域は道路の幅がやたらと広く、ほんの数ブロック先と言ってもメートルに直すとそこそこな距離で、当然時間もかかる。故に自転車が無ければ相当な不便を強いられるのだが、最近は健康意識が芽生えてきたので(急に生活習慣病のことを気にするようになった)1日最低でも3000歩は歩くようにしている。この徒歩での買い物もその一つに過ぎなかった。勘違いで牛乳を買いすぎてしまったので明日はシチュー。そのためにジャガイモが必要なのだ。あとチューブの生姜とか。

安売りされている恵方巻が、午後8時なのにもかかわらず大量に余っているのを見つけた。全部廃棄されてしまうと思うといたたまれず、つい買ってしまった。エコバッグが縦にならないように歩くのは随分昔のことのように感じられた。道中のゲオにはいつかDVDを借りに来ようと思っていたが、とうとうその日はやってこなかった。掲示板のポスターが妙に気になる。ここでヌートリアが出現したという知らせを見たときは驚いたものだった。自転車で普段通っている道を歩いていると色んな発見があった。元々はここも数十回は歩いた道なのだが。

the band apartの「途中の物語」を聞いていたせいか、これが自分の最終回感が出てきてしまった。曲のタイトルこそ「途中」とあるが、この曲の終ろうとしている感は半端なものではない。聞いていただければ分かると思う。名曲だ。物語は途中、という詩こそ挟まれているが、ここで俺の物語も終わっておいたほうがよさそうな気がしてきている。2020年の秋、俺は確かにそこで引っ越しのトラックから降りてこの街に降り立ったのだった。その日の夜は部屋の整理があまりできていなかったので、新居のマンションからすぐそばの東横インで1泊したことも覚えている。エンドロールが流れ、緞帳が下りてきている幻覚が見える。2022年も1月こそ終わったがまだまだ2月なのに、なんでこんなにしんみりしているんだ。晩飯のことを考えよう、明日はシチュー、明日はシチュー……