軋み

軋んでいる

「『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』著者へ“質問1000本ノック”してみたら」にいってきました

昨日行われた「人は2000連休を与えられるとどうなるのか?」の著者である上田啓太さんのトークイベントに行ってきた。タイトルは「『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』著者へ“質問1000本ノック”してみたら」。会場付近の道玄坂に歩いたのは初めてだったが、これも貴重な体験だった。ニンジャスレイヤーとか、MtGの「神河次元」の舞台設定は何となくこんな感じなのではなかろうか。

ごちゃごちゃしたレストラン街を通り抜けて会場に着いた。若い女性が多くて失礼ながらこれが少し意外だった。不必要に緊張していたせいか座席について30分弱待つ間に、頼んだシャンディガフがぐいぐい減っていく。ようやく壇上に、帯コメントも担当した今回の進行役の原宿さんと上田さんが現れた時点では、コップが空になってしまっていた。テキストサイトという古いネット文化からインターネット上を賑わせ今や一大メディアのオモコロに至るまで、旧知の仲であった原宿さんと上田さんのお二方だったが実際に顔を合わせるのはこのイベントで実に13年ぶりということだった。2000連休の間の環境(上田さんのブログの読者の借家の物置に住んでいたことなど)の説明から入り、本題の上田さんへの質問へ入っていくのだが、最初の質問が上田さんが幼馴染と15年以上前に行っていたネットラジオに関するなんともマニアックな質問で、ここが若干歪んでいる空間だということを認識できた。

結論から言ってこのイベントはめちゃくちゃ面白かった。もともと10年以上上田さんの文章を追い続けていた自分があの場にいたということは、信者が神に出くわすようなものだったのだが、それを抜きにしても2000連休を己に課すという膨大な実験を経た人間からしか得られない知見や言葉、理論が矢継ぎ早に訪れる実に濃密な2時間半だった。特に気になった質問とその回答は「一人称は定まっていますか?」というもので、これに対する上田さんの捉え方が素晴らしく、どういう一人称を使っているか?ではなくこうした訊き方になることで文中と口語の違いや明治時代の「言文一致運動」なる概念にまで発展していく。曰く、文中で「私」という、日常と異なる一人称を採用するようになってから、自分の身に起きた物事を文章化すると自分自身から突き放されて抽象化され現実味が希釈されていく、のだという。これ以上書くとなんだかネタバレになりそうな気がする。

ライブの録画はTwitcastingで8/15まで配信中。ハンターハンターのキメラアント編がaikoである、という理論がこの中で取り上げられるのでこのキーワードが気になる場合は購入してみてください。https://twitcasting.tv/loft9shibuya/shopcart/166629

20220723

休職することになった。業務中はもちろん終業後や休日など、特に空き時間の方が何をすればいいかわからず不安な状態が2か月ほど続き、晴れて診断書が出て休職をすることになってしまった。膨大な無為の時間があまりにも怖かったので、とりあえず名古屋の実家に戻ることにした。こんなことになってしまいました、という報告はしなければなるまい。

夜行バスに乗る前に、気になっていた映画「さよなら、バンドアパート」を見ることにした。7時半開始で上映時間が100分弱なので、ちょうどいい時間になるはず。初めて入るシアターで、薄暗いビル内にボソボソ声の店員の案内が聞こえている。良い雰囲気だ、と思う。席の入りは大々的に宣伝されている映画ではないということもあってあまり良くはなかったが、誰かしらのスマホからthe band apartの「the same old song」が流れていた。もしかしたらthe same ~~ではなかったかもしれないが、実に良い雰囲気の中映画が始まってくれたと思う。肝心の映画の内容は、今ひとつ分からなかった。時制がやや複雑な中、主人公が上手くいってメジャーデビューしたり、アル中になったりしていた。一遍の小説を100分弱の短い間に収めることそのものが難しかったのかもしれない。座っていて、話の展開についていこうとしているといつの間にかエンディングテーマとして採用されている名曲「can't remember」が流れていた。ただ「人生は思うようにならんけど、人間は思うように生きなあかんのや」というヒロインのセリフは印象に残っている。言った時の口調は朧気なんだけど。

シアタールームからは程近かった、深夜バスのターミナルに向かう。名古屋行きのものが出るまで1時間半くらいだった。待ち時間としては結構なものである。ターミナルの建物は広く、自動のものだけでなく、人力(っていうのか?)の券売窓口が何列にも広がっている。バスの乗降口はA4, C6のようにアルファベットと数字で示されている。脇のスペースを埋め尽くすように自販機が並び、ぽっかりと空いた真ん中に案内窓口が設置されている。残りの広大なスペースは概ね客がバスを待つための椅子としてスペースが割り当てられている、のだが、その膨大な数の椅子を埋め尽くさんばかりに人間がひしめき合っている。確かにここには屋根、電灯、Wi-Fiと文化的な生活を屋外で営むために必要な要素が揃っていた。まあ、次のバスさえ出発してくれれば多少は席も空いて、自分が座ることもできるだろう……とぶらぶら近所を10分ほどふらついて、またターミナルに戻ってきた。バスが1台どこかしらに向けて出発していった、が、席上の人口密度に変化が全くない。彼らは何を待って、ここに座っているのだろうか。

何とか空いた席を見つけ、「1984年」を読んで暇をつぶしていた。ぶっちゃけよく分からない話だ、とりわけ多くの人間に囲まれていると没入感も落ちる。主人公が打倒ビッグブラザーに思い当たったあたりで定刻になり、バスが来たので乗降口に向かったが、席上の人々に動く気配は無かった。彼らは何を待っているのだろう。

カリウムの記憶

脚が攣った痛みで目が覚めた。右のふくらはぎから攣った時特有の締め付けるようでもあり刺すような感覚で起きたのが朝の5時半くらい。親指をぐっと反らして痛みを和らげようとしても、そもそもふくらはぎが痛すぎて足先に力が込められない。体のどこに力を入れればいいのか分からないまま、痛覚だけが鮮明になっていく。何しろ身動きが取れない、漏れるうめき声が叫び声に変わろうとしていた。人間はいろんなものが限界を超えると叫び声をあげるようにできているらしい。寝起きからかなり意識がはっきりとしてきたせいか、昔のことを思い出した。今と同じように脚を攣り、おそらくは叫び声を上げたときに親父が俺の脚を伸ばして、処置をしてくれた。当時も寝起きだったので記憶そのものが曖昧なのだが、美化されたままの記憶を信じて親父が助けに来てくれたということにしている。その記憶のおかげかは知らないが、脚を多少は動かせるようになったので膝を曲げて親指を反らせる。これをやっておけばひとまず痛みからは解放される。数日は痛みが残り続けるが。

かつて大学で、脚が攣らないようにと塩飴とトマトジュースを摂取している先輩がいた。味の感想を聞いてみたのだが「どっちもまずい」という納得のいく答えが返ってきた。トマトは大人になった今でも生で食うことができない。それを絞ったものの味は言うまでもないだろう。が、いつ測っても血圧が130を超えるのでそろそろ何とかしないと急に死ぬのではないか、と思い血圧を下げる方法をネットで検索したところ、トマトジュースに行きついた。今は毎日トマトジュースを一杯飲むようにしている、味はまだ慣れない。そういえば親父も健康を気にして一時期飲んでいたような覚えがある。トマトジュースに含まれるカリウムは、高血圧にも脚の攣りにも効果的とのことだ。ただまあ、こうして脚は攣ってしまったので、せめて高血圧の方は何とかなって欲しいのだが……

3枚掛けの夢

推理ゲームの主人公のような視点だった。NPCと思しき人物から情報を聞き出して、手掛かりになるようなものを探すためにポイントからポイントへと移動する最中に家のすぐそばを通りかかったのだが、そこはメダルゲームの数々が置いてある絶好の穴場なのだった。事件など迷宮入りでも構わない、今すぐメダルゲームに取り掛かってジャックポットを連発して大量のメダルの中に埋もれてしまいたい、と今までダイアログとバストアップの人物と背景だけで構成されていた視界が、突如一人称視点のリアルワールドに切り替わる。あの信号を渡れば、目的地に着くのだ。青に変わったとたんに早歩きでドアをくぐり、薄暗い店内を進んでいく。途中にあったガラス張りで丸見えの個室トイレは夢特有のノイズだろう、ようやく待望のメダルゲームコーナーにたどり着いたところで目が覚めた。

起きてからもしばらくは、部屋を暗くしたままにメダルゲームのことを考え続けていた。家のそばにそんなクラシックなゲームセンターってあったっけ。もう10年以上もメダルゲームなるものに触れていないと思う。地元のショッピングモールとスーパーの中間みたいなよく分からない店舗の2階にはいろんなメダルゲームがあった。ハローキティのポップコーンマシンもあった気がする。そこで、パワプロのスロットのようなもので30枚当てたことがある。それ以外の大勝ちの記憶は無い。いい歳の大人になったし、多少の金の無駄遣いはいいかもしれないと思い、適当にスマホで「メダルゲーム」「ゲームセンター」と入れて調べてみるが、夢で見たように徒歩で行ける近場にはそのような場所は無かった。この唐突に湧いてきたこのメダルゲーム欲はどうすればいいのだろうか……とがんばれゴエモンのやつ(ゴエモンが小判を投げて敵や宝物に当てるもの)の動画を何件か見た。がんばれゴエモンの本編のことは知らないので、メダルゲームを経由して得た知識しかない。小判を投げて、敵が倒れる。メダルを追加すると小判が大きくなり、得られるリターンも大きくなる。ゲーム性がそこで終わっている。動画を見て概ね満足してしまった、夢の自分が熱中していた理由がよく分からない。

終ろうとしているかもしれない話

およそ1年ぶりに歩いて行きつけのスーパーまで行ってきた。スーパーに「行きつけ」って言うんだろうか。まあいい。自転車を去年の春に買ってから、スーパーはおろか、もっと近所のコンビニやドラッグストアまで自転車で行くようになってしまった。俺が住んでいる区域は道路の幅がやたらと広く、ほんの数ブロック先と言ってもメートルに直すとそこそこな距離で、当然時間もかかる。故に自転車が無ければ相当な不便を強いられるのだが、最近は健康意識が芽生えてきたので(急に生活習慣病のことを気にするようになった)1日最低でも3000歩は歩くようにしている。この徒歩での買い物もその一つに過ぎなかった。勘違いで牛乳を買いすぎてしまったので明日はシチュー。そのためにジャガイモが必要なのだ。あとチューブの生姜とか。

安売りされている恵方巻が、午後8時なのにもかかわらず大量に余っているのを見つけた。全部廃棄されてしまうと思うといたたまれず、つい買ってしまった。エコバッグが縦にならないように歩くのは随分昔のことのように感じられた。道中のゲオにはいつかDVDを借りに来ようと思っていたが、とうとうその日はやってこなかった。掲示板のポスターが妙に気になる。ここでヌートリアが出現したという知らせを見たときは驚いたものだった。自転車で普段通っている道を歩いていると色んな発見があった。元々はここも数十回は歩いた道なのだが。

the band apartの「途中の物語」を聞いていたせいか、これが自分の最終回感が出てきてしまった。曲のタイトルこそ「途中」とあるが、この曲の終ろうとしている感は半端なものではない。聞いていただければ分かると思う。名曲だ。物語は途中、という詩こそ挟まれているが、ここで俺の物語も終わっておいたほうがよさそうな気がしてきている。2020年の秋、俺は確かにそこで引っ越しのトラックから降りてこの街に降り立ったのだった。その日の夜は部屋の整理があまりできていなかったので、新居のマンションからすぐそばの東横インで1泊したことも覚えている。エンドロールが流れ、緞帳が下りてきている幻覚が見える。2022年も1月こそ終わったがまだまだ2月なのに、なんでこんなにしんみりしているんだ。晩飯のことを考えよう、明日はシチュー、明日はシチュー……

プロテインをすする者

牛乳を買いすぎてしまった。タンパク質が足りていないような気がしたので元々プロテインを常飲していたのだが、年が明けてからその習慣が途絶えてしまった。食費を抑えるために水割りで飲むようにしたが、単純に不味いので続かなかった。このままでは料理に使えないバナナ味の粉が大量に余ることになる。大人しく牛乳を買うようにした。食費を切り詰めようとして成功したことが、今までほとんどないことを思い出した。

牛乳のブランド等に特にこだわりがないので、家から徒歩3分のファミリーマートでよく買っている。その日は昼飯に無性にセブンイレブンのチャーハンが食いたくなったので、仕事の昼休憩の間に行ってきた。セブン店内でプロテインを割るための牛乳が切れそうになっていたことを思い出し、チャーハンと共に2本買ってきたわけだ。これがいけなかった。というのも、水を買うときにはネットスーパー経由で6本ケースで購入しているのだが、その日の仕事終わりに届いた商品の中に牛乳が紛れ込んでいたのだ。2本。一定金額(1500円くらい)以上でないとネットスーパーは利用できないので、適当な冷凍食品などをまとめて注文するが、ここに牛乳を入れていたことをすっかり忘れていた。

今、冷蔵庫の中にはセブンブランドの牛乳と毎日らくのう牛乳の2本ずつがひしめき合っている。幸いにも賞味期限は1週間は先なので、その間には何とか使い切れるだろう。しかし飲んでみて改めて思うが、プロテインを牛乳で割るのは安心感が合ってよい。プロテインの袋には水で割って飲むように指示がされているが、なるほど健康に良さそうな味しかしない。思い出すのは学生時代のことで、当時は真面目にウェイトトレーニングなどしていた。大学のトレーニングルーム脇、真夏の水飲み場から出てきた水(半分お湯)で割ったココア味のプロテインは、見た目も相まって泥水の味がした。泥水そのものをすすった体験は無いが、口にすることがあればあんな味がするのだろうという確信めいたものがある。まあ、あるゲーム配信者の方が言っていたところによれば珍味として「土」料理なるものもあるらしいが。土のスープを食したが、大層美味かったそうな。プロテインの水割りと土のスープ割り、どっちの方が人気があるんだろうか。

Wordleにハマっている話

Wordleにハマっている。もはや説明不要のコンテンツな気もするが自分の中の整理も兼ねて概要を書いていこう。

・Wordleとは

5文字の英単語で行う1人プレイ用のHit and Blowのようなもの。英単語を6回まで入力することができ、その中で正解の英単語を当てるというシンプルなゲーム。1日1題、毎日更新されるのでコンテンツの消費の速度が緩やかかつ一定というのが良い。まあ俺はアーカイブの問題をすでに100問以上解いているのだが。

結果はこんな感じのツイートで表示される。1行の5つの正方形のうち黄色い箇所が英単語に使われている文字、緑の個所が位置も正しく推定できている箇所。228回目の出題は比較的簡単だったので、6回中3回の入力で正解にたどり着いている。

ゲームのミソはやはり、単語を当てに行くときはもちろんだが、文字をただ潰すときにも「5文字の英単語で指定する必要がある」ということだろうか。何となく正解の単語として使用頻度の高そうな5文字を入れても、単語として意味が通っていない場合は入力は受け付けられない。例えば含まれている可能性の高い母音を5つ並べて「AIUEO」としたところで弾かれてしまう。ので、初手や2手目には母音(A, E, I, O, Uに加えてY, R, H)を含んでいる上で出現頻度の高い子音(T, S, P, W, Cなど)のある単語をチョイスしてそれらの文字を潰していくのがセオリーであると思われる(ASIDE, PLUCK, THROW, ERASE, YOURS*1など)。

正解として選ばれる単語だが、中学校で習う平易なものもあれば大学レベルを上回るものまで出てくる。また時折X, Q, B, Jなどの頻度の低い文字が解答に含まれることもある。プレイヤーはTwitterを見てる感じだとネイティブがやっぱり一番多いが、受験以降英語力が問われる機会特に無くなった社会人(端的に言うと俺みたいな連中)は、先のような単語5文字をピッタリ正解することができれば射幸心を煽られること間違いなし。

ニューヨークタイムズ社によって買収されたことがニュースになっていたWordleであるが、もとはと言えばエンジニアのWardle氏が恋人のために作ったものらしい。自分の名前をゲーム名っぽく落とし込んでいるところのセンスがまた羨ましい。最近は日本語版やポケモン名版などが出てきている。優れたアルゴリズムの宿命か。

*1:解析によって、ある4単語を入力すれば正答の5文字を100%絞り込めることが判明したがその中にこれらの単語は無かった。恥っず……