軋み

軋んでいる

手書きのちっその話

飲み薬が切れたときにまた来てください、と言われたので先週に引き続いて皮膚科に行ってきた。10時の診察の予約時間に対して9時半起床。毎回こんなものだ。

予約の時間には間に合って、すぐに診察室に通してくれた。先生がカルテをまとめているのか何なのか、診察室で先生を待つ時間の方が待合室に居た時間よりも長かった。普段一人で居るはずのない空間に取り残されると色んなものが目に付くが、その中で卓上カレンダーの今日の日付の箇所に「ちっそ」と書かれているのが妙に気になった。ちっそって何だろうか、ひらがなで書かれていることに特別な意味があるのだろうか。何しろ病院の先生の机なので、おそらく何らかの医学用語だという線もある。俺には知り得ないもの。かなり走り書きの字だったので、あるいは「ちっそ」ではなかったのかもしれん。

走り書きのお世辞でも綺麗とは言えない字を見ると、手書きをすることがほんとに減ったなあと思い出される。おおよその書類はすべて電子で済んでしまう。筆記用具を職場に携帯するのもマナー以上の意味が失せている。仕事上のメモはすべてメモ帳かStickyNoteで付けている。たまにボールペンなどで字を書くと、自分の字ってこんなもんだったか?という違和感を覚える。年数回のペースで自分の名前や住所を書くのだが、もっとうまく書けていなかったか?と訝ってるみが、もとから特に字は上手くはない。記憶の中で美化しているに過ぎない。仕事のできる上司や先輩方の字を拝見する機会も何度かあったが、大抵の場合はイメージしていたよりもずっと字が下手だ。一番付き合いのある直属のチームリーダーの人も、手書きの字を見ていると中学時代の同級生のことを思い出してしまうくらいだ。極論字なんてもんは伝われば何だって良いのだが、大人になればみんな字は自然と上手になるものだとかつては思い込んでいた。自慢では決してないが家族はみんな字が綺麗だった。俺も彼らと同じように、二十歳を越せば劇的に筆が改善するものだと無邪気に思っていたが、現実はがたがたのバランス、ヨレヨレの線を這わせることしかできないままだ。書く機会はどんどん減っているので、むしろこれからどんどん下手になっていくだろうな。

先生がようやく奥から現れて、前回と同じく患部を見せるとそれだけで診察が済んだ。症状が和らいでいるので保湿のクリームだけ処方された。電子カルテに打ち込んでいる先生のことを見て、やはり字ってのは雑になっていくものなんだと思った。