軋み

軋んでいる

忘れたかもしれない物の話

もう金を物理で持ち歩かなくなった。本も電子書籍をメインに移行しているが、金の方もその流れでキャッシュレスに傾いている。もともと財布から硬貨や札を取り出すのが苦手で、レジの流れをよく止めていた(と思う)。今ではiPhone内のアプリを使えば楽に決済出来てしまう。QUICPayとLINE Pay無しではもはや生きられない。歴史的に数年前からでも使おうと思えばできたはずなのに、なぜ今までこれを使わなかったのか分からない。いつも文明に乗るのが年単位で遅れている。

コインランドリーに行って寝具を乾燥機にかけたときのこと。読んで字のごとく、コインランドリーではコインを使う。目的地は近場で特に寄り道もしないし、乾燥機を回す程度なら20分程度で終わるし、何より充電も切れかけなのでスマホは持ち歩かず、洗濯物と財布だけを持って家を出た。だが目的地に向かう間や、乾燥が終わるまで辺りをぶらぶら歩いている間、普段スマホをしまっているボトムスのポケットが気になって仕方なかった。確かに充電器に繋いだシーンを記憶しているのだが、「俺は何かを忘れている」という感覚が脳を支配している。結局家に戻るまで長財布を入れている方とは逆のポケットをゆすり続けていた。

物心ついた時から、朝家を出る際に何か忘れ物をしているのではないかという感覚が常にあった。長い学生生活の中で、本当に忘れ物をしているケースも当然あったのだが、そのほとんどが杞憂でポケットにハンカチとティッシュは入っていたし、課題の提出もできていた。英数国以外の教科書等は自分のロッカーに入れていたので、好意的に解釈すればその辺りのリスク管理もできていた。自分から学習はしないだけで、周りから真面目な学生だと見られていたような覚えがある。社会人になってからもその感覚は抜けなかったが、責任も軽い(というかほぼゼロみたいなモン)立場に置いて出勤に必須なものと言えばそれこそスマホと財布くらいなもの。それでもバス停や地下鉄の駅に向かうまでの道や公共交通機関利用中でも常に「俺は何かを忘れている気がする」という思考が止まらなかった。

職場にて、チーム内での夕礼の最後に、その他連絡事項ありますか?と聞かれるのだがそこでもまた考えてしまう。今のチームは少人数で、気心も割と知れた仲だと思っているので俺はウンウンと唸りながら「何忘れてるような気がするンすよねえ……」と週に2、3回は言っている。この何かの正体をいずれ暴く時があれば、スマホの件が役に立つのかも知れん。