軋み

軋んでいる

鬼義兄日記

数年前、親父が他界してしばらくすると20歳以上離れた遠地在住の腹違いの兄から急な手紙が届いたのを覚えている。数年前といっても電子化のインフラが十分に整えられていた時代なのにもかかわらず、俺の家族と義兄の家族は電話番号と住所くらいしか情報を交換していなかったのだ。急な手紙の内容は義兄側の遺産の取り分が少ないのではないかという指摘、こちらの家に残されていた義兄の実母の遺影など含めた遺品を送ってほしい旨、そしてその後はお互いに関わり合うことの無い様にしようという提案だった。

手紙を読んだ母と姉、俺は当たり前の様に激高し、まるで手切れ金の様に(実際にそうなったのだが)親父の遺産と、俺と姉が生まれたときにはすでに他界していた義母の遺影とを彼らに送り届け、絶縁した。親父が他界したその年のうちにお盆も正月も義兄一家と出会うことはなくなった。10代前半のうちに生まれた甥っ子姪っ子も今ではもう大学生くらいか?わからない。引き算するのも面倒くさいのだ。

実家を出た今になってぼんやりと義兄家族のことを思い出した理由は分からない。しかしあの時彼の側から絶縁を持ちかけてこなければ、非常に密度の薄い、他人行儀な親戚としての関係が引き延ばされたままだったことを思うと、彼らの選択は正しいものだったのだと、時間差で実感を得ている。直接な血の繋がりが今一つ感じられない甥や姪との会話ははっきり言って楽しいものではなかったし、義姉の気遣いも息苦しかった。親父の病床の脇に立ち、死を目の当たりにしてどこかセンチメンタルな気分に浸っていた当時は、その提案の妥当性に気づくことができなかった。実家と義兄家の、凡そ義務感のみからなる窮屈なことこの上ない関係を断つ一番いいタイミングで、あんな手紙を送り届けることのできた義兄を、今こそ言えるが俺は心から尊敬している。自慢の兄か、というとよく分からないが。俺は彼の名前の読みは知っているがどうやって漢字で書くのか知らない。今となっては知る由も、相当な努力を経なければ得られないだろう。