軋み

軋んでいる

覚醒(めざめ)

人生で唯一、幻覚を見たときのことを今でも覚えているし、おそらく一生忘れない気がする。高校時代、3年の冬を除いて毎年夏と冬の2回、合宿と称して長野の山中に100名弱の生徒を5日間幽閉するイベントがあったが、そこでの話だ。友人たちと寝食を共にする機会ということで1年時の夏の初参加前は舞い上がっていたのだが、飯の量の少なさと味の薄さや、時間いっぱいに詰め込まれた授業、冬は極寒夏はデカい蛾と凶事に事欠かず、初回の3日目くらいから名古屋に戻りたい気持ちでいっぱいだった。2回目、1年生の冬の際には食事への不安からカロリーメイトを山ほどリュックに詰め込んで挑んだこともまた忘れ難い。あまりの不評さに予算が回されたのか、2年の冬の時に飯が質量ともにかなり改善された。なんとウナギも出た。

幻覚を見たのは2年の夏だった。この頃になると合宿のハードさももはや身に染みて分かってきていたので、周りの友人も早めに眠りにつこうとしていた。しかし自分は目が冴えてどうにも眠れない。朝から晩まで座ってテキストに向かって、飯もろくに食えず、明らかに疲れているのに眠気が来ない。友人のうちの1人に話してみたところ、どういうわけか睡眠薬を持ち込んでいたので、1錠分けてもらった。「絶対に水で飲むように」と強めに念を押された錠剤を水道水で飲み込んで布団をかぶる。しばらくすると、消灯済みの暗がりの中で布団のシワや天井の模様がもぞもぞと動き出した。強烈な眠気を感じていながらも布団や天井、壁が波のように寄せては返してくる、その動きをぼけーっと眺めていた。グネグネと動く線が模様に見えたりして、自分はそれを三人称視点で眺めているような感じ。それでいてこれは明らかに夢ではないという実感もある、何とも不思議な感覚。これは幻覚だ、と気づいたのは朝の話。いつの間にか意識を失っていたらしい。夜中にうわごとを言っていなかったか同室の友人たちに訪ねてみたが、そういうことはなかったようだ。

the band apartの原さんが喋っている動画でサドゥーの話が出ていた。彼らのライフワークである苦行として、尻の穴で呼吸をするために上半身を地面に埋め、砂漠の中でただ時を過ごしているようだ。彼らにLSDやら麻薬やらを「これでトぶから」と言って渡すとサドゥーはそれを飲んで症状を体験したのちに「俺は常にここにいる」と言ってのけたらしい。薬をキメるのはある種の臨死体験や精神世界へのアクセスなのだが、それを果たすためには砂漠で尻を太陽に向けなければならない。その過酷な過程をショートカットできる薬物というものは、やはり貴重なのだろう。本当に睡眠障害を抱えていた時に市販の睡眠導入剤を使っていたことがあったが、眠気を強めることはできても幻覚を見出すところまでは程遠かった。友人にあの時に睡眠薬がなんだったのか、今更聞いたところで答えは返ってこないだろう。尻で呼吸する根気も無い。俺の手が精神世界にわずかに届きかけたときの話。