軋み

軋んでいる

「紙の動物園」を読みました

今週のお題「読書の秋」

まずタイトルが好きだ。本を選ぶときは大体タイトルから入っている気がする。SFは引きのあるタイトルが多い(これは個人の感想に占める割合が大きいので共有しづらい)ので読む本もかなりSFに寄っている。内容自体も当然好き。最初の方の、独自の用語が飛び交って置き去りにされるという現象がたまーにあるのだが、それにぶち当たると大抵ニヤニヤしている。

作者のケン・リュウ氏本人は中国系のアメリカ人だが、自身のルーツである中国の伝承や文化、歴史を大事にしている、という向きがこの短編集の端々から伝わってくる。表題の紙の動物園は、昔にあった雑誌の出会い系をきっかけに結婚したアメリカ人の父と中国人の母を持つ主人公の話。周りに馴染めないのを母のせいにしたりして、たまにあるノスタルジーを煽る系の話なんだけど(ラファティの「昔には帰れない」など)、その親子を見つめていたのが命を吹き込まれた折り紙のトラ、という話。

結縄文字の達人が最適化されたタンパク質の構造を探す「結縄」とか、超文明人が宇宙を航行している間に不時着して五行を身体に取り込む原始的集団と一緒に暮らす「心知五行」もこれだわ~と思ったが、特に印象的だったのが「1ビットのエラー」と「良い狩りを」。

  • 「1ビットのエラー」

まずテッド・チャンの「地獄とは神の不在なり」を読んでること前提みたいな話の振りをしてくるけど、幸い俺はこれを掲載している短編集「あなたの人生の物語」を履修済みだった。どっちの作品にも共通してるのは「信仰心は現象として救われた成果物であるべき」というもの、だと思う。「地獄とは~」では雷に打たれて盲いたやつがアルカイックスマイルを浮かべてる救いがあるのか無いのかよく分からない(これが「あなたの人生~」で1番好きだった)話だったが、これが「1ビット~」ではマイルドというか、ホントにタイトル通りに宇宙から強めの放射が来るだけで電子が伝える情報に狂いが生じてその結果…という話。雷よりも、ただどっかの星が爆発しただけで悲劇に見舞われるせいで物語の残酷さにあるいは磨きがかかっている。いわゆる神の御業を、地球視点ではしょうもない現象にしてしまうというのも結構にチャレンジングだ。

  • 「良い狩りを」

SF小説という枠もだいぶ広いものになっていると思うが、キョンシーが出てくるものはかなり限られてくる…はず。登場人物としてではなく、舞台背景として名前だけの登場だが。妖怪退治を生業としている父親を持つ主人公が、討伐対象の妖狐の娘と出会うシーンを見たときは犬夜叉みたいな話になるのかと思っていたが…いい意味で期待を裏切ってくれた作品。列強諸国からの占領を受けて鉄道の施設が進む中で、妖怪が姿を減らし退治の依頼も減る一方、妖狐の娘の方も狩りをするための真の姿である狐のフォルムに転じることができなっていく。これに対していわゆる『魔法』がどんどん減っている、という見方ではなく魔法は風水や交霊術などから、石炭と蒸気に置き換わっているのだ、という見方を取るのがこの話。「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」を、時代背景を絡めて短編として落とし込んでいる。ラストシーンでは妖狐は新たな『魔法』の助けを得て狩りに戻っていくんだけど、感動してちょっと泣きそうになった。